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2006年2月24日 (金)

インド戦快勝記念 - インド旅行記 2005年2月

アジア杯予選の初戦・対インド戦で見事勝利を飾ったので、今回はちょうど一年前に訪ねたインドの旅行記を書きます。 (石垣島旅行記(後)も早く書かなければ!)

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成田を飛び立った飛行機は進路を南西に取り、上海、昆明の真上を通過する。 上海上空では、東方明珠電視塔がはっきり目視できる。 バングラディシュ付近まで来ると、今度は西北西に進路を変える。 こんなルートを取るのは、ヒマラヤの南側を回り込むためだ。

世界の屋根を右手に見ながらさらに進むと、徐々に大地が赤みがかり、インド亜大陸の心臓部に突入したことを教えてくれる。 そして日が暮れようとする頃、飛行機はインディラ・ガンディー空港に滑り込んだ。

デリー

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空港で待っていたいたのはこんな車。 インドが誇るアンバサダー。 東京でもたまに見るね。 (写真は全て拡大します。)

ラージ・ガート
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マハトマ・ガンジーが火葬された場所。 灰はインド各地の川に流されたらしい。

ラール・キラー(17世紀)
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ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが造営した城。 現在、毎年ここで独立記念日の式典が行われる。

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ラール・キラーはまたの名をレッド・フォートと言う。 その名のとおり「赤い砦」。

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ラール・キラー内部のモスク。 イスラム風の細工が施してある。

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ラール・キラーの庭園。

ラール・キラーには独立運動を扱った博物館もある。 日本陸軍と共にインパール作戦を遂行したチャンドラ・ボーズの扱いがかなり大きい。 パキスタンとの分離前後の駆け引きを生々しく物語る資料(当局の内部文書、書簡など。 無論、インド側に有利なものだけだろうが)も多数展示している。

クトゥブ・ミナール(12世紀)
Delhi_Qutb_Minar00
インド最古のイスラム遺跡群

Delhi_Qutb_Minar02

Delhi_Qutb_Minar01
ヒンドゥー寺院を破壊した跡に作られたので、壁にヒンドゥーの模様が残っている。

ユフマーン廟(16世紀)
Delhi_Humayun_Tomb
タージ・マハルの原型となった廟。 イスラム遺跡を訪れるのは外国人観光客が中心で、割と閑散としている。 外国人料金はインド人料金より遥かに高い。

インド門(India Gate)と公官庁街
Delhi_India_Gate
インド門。 第一次世界大戦で戦死したインド兵の慰霊碑。

New_Delhi
イギリスが都市計画整然とした公官庁街。

近くには国立博物館がある。 インダス文明遺跡からの出土物をたくさん展示している。 久々にモヘンジョ・ダロ、ハラッパーなんて懐かしい名前を目にした。

Delhi_cricket 
クリケットを楽しむ人々。 右はオートリクシャー。

よく、インドの運転は酷いと言われる。 確かにそのとおり。 トラック、バス(大抵満員)、自家用車、バイク、オート・リクシャー、リクシャー、自転車、歩行者そして牛が入り乱れ、車線無視、逆走、対向車スレスレの右(左)折など、なんでもあれ。 けど、ベトナムよりはマシだと思った。 あそこは人間スーパーマリオ状態。

ハイダラバード

デカン高原の中央に位置するインド第6の都市。 (大きい方からムンバイ、コルカタ、デリー、チェンナイ、バンガロール。)

バンガロールが電力不足、慢性的交通渋滞そして人件費の高騰に直面する中、新たなIT拠点として注目されているのがこのハイダラバード。

もう一つの特徴は人口の半分がムスリムと言うこと。 特に旧市街では、帽子を被った男性、眼以外全身を覆い隠す黒い衣装をまとった女性がいっぱいいて、街角ではコーランを読み上げる音も聞こえてくる。 まるで中東。 (中東には行ったこと無いけど。。。)

王たちの廟
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かつて、この地を治めたイスラム王朝の王たちが眠る。

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保存状態は、あまりよくない。

ゴールコンダ・フォート(16世紀)
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丘に築かれた巨大な城、というか砦。

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北からのムガール帝国の進入を防ぐためのもの。

Hyderbad04
写真からは分からないかど、とにかくデカい・・・

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地中を刳り貫いた箇所もあり、夜はライトアップされ、コンサートをするらしい。

チャール・ミナール(16世紀)
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旧市街の中心に位置する。 あたりのバザールの熱気は凄かった。

メッカ・マスジット
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インド最大のモスク。 1万人が同時に礼拝できるらしい。

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病院。 西洋医学、アーユル・ヴェーダともハイレベルで、医療サービスは競争力のある産業。 患者は欧米からも来るとのこと。

ムンバイ

インド最大の都市で、証券取引所、主要財閥や金融機関の本社が集まるビジネスの中心地。

細い半島の突端にイギリス風の街並みと摩天楼が開け、毎朝、半島の先を目指す道は車で埋め尽くされる。

それ以上に凄いのが鉄道。 終戦直後の映像で、復員兵や買出し客を満載した列車を見たことがあるが、まさにそれが目の前で再現されていた。 扉も閉じず、人が鈴なりの状態で列車がビュンビュン走る。

その横では、代々洗濯を生業とするカーストに属する無数の人々が、線路沿いのかなり広い一区画を占め、洗濯板で、あるいは繊維を岩に打ち当て、ひたすら洗濯し続けている。 (写真は撮っていませんが。 「ドービー ガート」で検索してみてください。)

インド門(Gateway of India)
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1911年に完成。 植民地経営の象徴。 デリーの「インド門」とは意味合いがだいぶ異なる。

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タージ・マハルホテル。 タタ財閥が建てた超高級ホテル。 インド門よりも古い1903年の完成。

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ムンバイ大学。 1874年開校。

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ムンバイ大学のラジャバイ・タワー。 誰もがビッグベンを思い出す。

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チャトラバティ・ジヴァージー・ターミナス駅(1887年) 南国とゴシック様式の組み合わせは暑苦しさも格別。

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ヴィクトリア調の街並み

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マリーン・ドライブと摩天楼

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ホテルからアラビア海と摩天楼を望む。

ムンバイでは19世紀、20世紀、21世紀が同居している。 ソフトウェア開発やビジネス・アウトソーシングで繁栄するIT企業が21世紀の姿だとすれば、年中ストを打ち、左翼政党を支持する公務員や国営企業労働者は20世紀。 そして、何世紀も変わらない生活様式を守っている人達の存在。 しかも、それぞれの境界線は曖昧。

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インドは歴史が古いとか、人が多いなんて要素だけでは捉えきれない。 物事を計る尺度自体が違う。 過去・現在・未来、物質と精神、寛容と排他、生と死。。。 我々の感覚からすれば矛盾するはずの要素が渾然一体となっている。

IT先進国である一方で、代々「職業は乞食」と言う人が千万・億単位で暮らしている。 ヒンズーは聖典も教義も無い「寛容な」宗教だが、一神教の国よりも様々な因習に支配されながら生活している人が多い。 世界最大の民主主義であり、市場経済国でもあるが、宗教、哲学、精神世界のデパートでもある。

Guruがアール・デコ調のカフェ・バーでノン・ベジフードに舌鼓を打つ国。 お牛様が幹線道路を我が物顔で闊歩する国。 一筋縄ではいかない、しかし、魅力的な国、インド。

またインドに行って、その謎に触れてみたい。

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去年は、この旅行(出張)のため、フロンターレとのPSMを見ることが出来なかった。 けど、今年の甲府戦はばっちり行きます。

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