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2007年1月11日 (木)

宮沢を見送る日 宮沢を見直した日

(書いている途中で戸田の移籍を知りました。 記事のタイトルは「宮沢」ですが、筆者の主観の部分は、「宮沢」を「戸田」に置き換えて読んでいただいても、通じると思います。)

すっかりご無沙汰しています。

バタバタしつつ、日曜には西が丘で大学選手権を、月曜には国立で高校選手権決勝を観ていました。 その間に、東京にも激震が走っていました・・・。

中でも一番驚いたのが宮沢の完全移籍。 阿部ちゃんや増嶋の噂は耳にしていたけど、宮沢の完全移籍の報道byトーチュウは自分にとって晴天の霹靂。 完全に不意を突かれた。 (追記: その後、戸田移籍の情報で更にガツーン。)

けど、驚いた本当の理由は、不意を突かれたことではなく、正直、宮沢のことを 「チャンスを求めて出て行くような根性の座った選手じゃない」 と思っていたから。

2004年以降、今野の加入などで徐々に出場機会を失っていった宮沢。 当時、相前後してスタメン落ちした加地がすぐにポジションを奪い返したのに対し、宮沢はシーズン終盤までスタメンに定着することはなかった。 ナビスコカップ決勝戦でもベンチ入りすらできず、なのに優勝報告会では選手会長として挨拶しなければならなかったのは、なんか気まずそうだった。

2005年は原さんがワンボランチに挑戦。 開幕当初、宮沢はダブル・トップ下の左側というポジションを与えられたものの、チームが連敗街道に陥るとツーボランチに戻り、そのポジションに座ったのは今野と梶山だった。

ガーロ体制で迎えた2006年。 キャンプではスリーボランチの左側の位置を確保するかに見えたものの、開幕スタメンの座を得ることができず、伊野波の加入によりますます出場機会が減った。 プレー時間と反比例するかのように、交代でピッチに入るときのスタンドの盛り上がりはどんどん大きくなっていった。 そして、いつしかスーパーサブのイメージが固まっていった・・・。

オフシーズンのたびに、「出場機会を求めて移籍するかな?」 と心配した。 選手に移籍されるのは嫌だけど、宮沢ならよそでチャンスを掴めると思った。 けど、2年連続東京に残った。 TVや雑誌で見る宮沢はいつもニコニコしていて、「ポジションを奪い返してやる!」 という気迫はあまり感じられなかった。 時にはヘラヘラしているように感じることさえあった。 いつしか、宮沢に対して 「チャンスを求めてチャレンジしない選手」 という印象を持っていた。 しかし、それはとんだ見当違いだった。

今日の報を受けて、思わぬ根性・向上心を(隠し)持っていた宮沢を見直すとともに、なんで東京でその力を活かし、伸ばせなかったのか? と口惜しく思う。 何かを失うとき、途端にそれが惜しくなるのは人間の性なのだろう。

宮沢の側からすると、互いに能力も特徴も癖も知り尽くした監督が戻ってくれば、起用法や戦い方も予測できてしまい、マンネリのような感覚を覚えるのだろう。 そして、この辺の事情は、阿部ちゃんも一緒なのだろう。 ぬるま湯に浸り続けるならともかく、よりモチベーションを高められる環境を求めるならば、移籍は当然の選択なのかもしれない。

と、ここまで散々なことを書いてきたけど、実は、宮沢は東京の中でもかなり好きな選手。 宮沢のFC東京での歩みは、自分がFC東京にハマりこんでいく過程とほぼ期を一にしており、宮沢には特別の思い入れがある。 はっきり言って、2004年や2005年は文さんや浅利よりも宮沢を固定して使って欲しかった。 一気に局面を打開するサイドチェンジ、チャンスを拡げる正確なロングフィード、そしてゴールの匂いを漂わすセットプレー。 欠点もいっぱいあったけど、普通の人が実はとんでもない武器を隠し持っているかのような、そんなギャップがカッコよかった。

宮沢で思い出すのは、2002年のホーム神戸戦。 宮沢がシーソーゲームにケリをつける延長Vゴールを決めた試合。 19時キックオフだったのだが、その日は16時キックオフの浦和vs名古屋@埼スタとハシゴしたため、遅刻してしまった。 雨の中を国立に急ぎ、千駄ヶ谷門に一番近いメイン寄りの自由席を確保したのだが、その場所が良かった。 東スタであれば棲み分けているであろう、さまざまな人種が混ざり合い、雨に打たれながら試合に一喜一憂し、勝利の歓喜を分かち合う。 連帯感や所属意識をかき立てるステージだった。

(余談だが、その日浦和はエメルソンの延長Vゴールで勝利を収める。 その試合後に飛び出したのが、福田正博の 「負けないよ」 発言。 その直後からレッズはことごとく1点差で試合を落とし続け、連敗は翌シーズンにまで及んだ。 自分が一層東京にハマる原因になった福田健二の伝説の溝ダイブも、この 「負けないよの呪い」 の継続中に生まれたものだった。)

J1昇格後の勢いが残っていた頃の東京。 右肩上がりをまだ信じられた時代の東京。 そして、ナビスコ杯制覇でピークを迎え、その後ぶち当たった壁を乗り越えられなかった東京・・・。 宮沢は、そんな無邪気で不器用で、この上なく幸福だった時代の東京の魅力と限界を、身をもって示した選手だった。 しかし、新しい姿を求めて既に舵を切り、もがき苦しんでいる最中の今の東京には、一世代前の東京の象徴のような宮沢の居場所は、もうなかったのかもしれない。

けど、東京が見た目では変わったとしても、根底に流れるDNAのようなものは保ち続けてほしい。 走ること、諦めないこと、セクシーであること・・・。 馬場や梶山が前線のスペースに華麗なロングパスを通すとき、そこに宮沢の残り香を感じ、俺は歓喜するだろう。

宮沢は大分ではどんな活躍をするのだろうか。 中盤の底から松橋兄弟(早稲田の弟も大分入りするらしい)を操る姿は想像するだけで魅力的だ。 けど、今野のプレスからは逃れられまい。 今から対戦を楽しみにしている。

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コメント

はじめまして。
良い記事でした。
なじみの選手たちを一度に失う悲しみがなんとなく少しやわらいだ気がしました。
決別の文、だからかな・・・。

投稿: OBAKA母 | 2007年1月12日 (金) 23:32

OBAKA母さま
コメントありがとうございました。

>少しやわらいだ気がしました。
そう言っていただくと幸いです。

今回の移籍に対し、残念で仕方ない、とか、残念だけど仕方ないとか、さまざまな見方があるでしょうが、
これも東京が新しく生まれ変わるためにくぐり抜けなければならない痛みと考え、若手の積極的な登用など、
前向きに生かして活かしていって欲しいです。

投稿: fct-fan | 2007年1月14日 (日) 18:26

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