あぁ、憂太
自分が応援するクラブから、一番好きな選手が移籍してしまう。 これほど悲しいことは、ほかにあまり思いつかない。
憂太がお気に入りの選手になったのは割と最近のことで、2005年頃だったと思う。 理由は彼がユース出身だったこと以上に、そのプレースタイルに魅せられたから。
東京が連敗に苦しんだ2005年シーズン、憂太は途中出場が多かったけど、彼がプレーを始めるとピッチが華やいだ。 憂太がいるといないとでは、白黒テレビとカラーテレビ、ファミコンとPS3、スポ根ドラマと青春学園ドラマくらい違うと思った。 東京生え抜きのプリンスが華麗なプレーを繰り広げることがとても誇らしかった。
ほかの選手が相手を正攻法で抜こうして、必死に頑張るのを尻目に、憂太は相手の逆を突き、スペースを使い、味方を生かし、翻弄しようとしていた。 ほかの選手のプレーがまるで何かの苦行のように見えた中、憂太のプレーは飄々として軽やかだった。 ミスも軽いプレーも多かったけど、憂太は誰もよりも「サッカー」をしていた。 憂太は王子だった。
けど、その憂太がいなくなってしまう。 監督が変わって、サッカーも変わって、横一線からのスタートになるはずだったのに。 今年から東京がやるであろうサッカーは、去年までのサッカーより憂太に合っている気がしたのに。 下部組織を含む東京の興隆のシンボル・唯一無二の存在だったのに。 (森村、大竹はもちろん、梶山がたとえどんなに凄い選手になったとしても、その役割は果たせない。) それなのに、憂太は自らプリンスの座を捨てて出て行ってしまう。
理由が出場機会なのか、クラブからの金銭的評価なのか、環境を変えること自体が目的だったのか、ほかの理由なのかは想像するしかない。 意外にもしっかりしたコメントを残して行ったけど、何の慰めにもならない。 生え抜きの憂太が東京で大成できなかったことは、憂太自身はもちろん、東京にとっても取り返しのつかない残念なことだ。 けど、とにかくもう決まってしまったこと。 憂太には頑張って怪我に気をつけて千葉で成功して、としか言いようがない。
ほかの東京サポもこういう経験をしてきたのだろう。 それが由紀彦だったり、アマラオだったり、ケリーだったり、原さんだったり、土肥だったり。 彼らはどう折り合いを付けてきたのだろう。 この喪失感を、どうすれば埋められるのだろう?
今日、自分のサポ人生に新たな歴史が加わった気がする。 そして、サポ人生は構わず続いていく。
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コメント
プリンス具合が比較?されていた長谷部も海外移籍してしまいましたからね~。プライベートでも仲が良いみたいなので、外の空気を・・・みたいな刺激もあったのかもしれません。いつの間にか差がついてしまいましたね。。。
投稿: kei | 2008年1月18日 (金) 13:26
>kei様
コメントありがとうございます。
閉塞感を感じていたのかもしれませんね。
日々、新たな挑戦、モチベーションを提供することができなければ、選手の方からチームが見捨てられてしまいますね。
東京も、今いる選手の意識を高め、外から意識の高い選手が集まるようなチームになって欲しい・・・。
投稿: fct fan | 2008年1月19日 (土) 00:41