2010年12月4日 - 2011年11月19日 鳥取vsFC東京 11月19日(土)
2006年か2007年頃のことだったと思う。 JFL公式ガイドブック(毎年、武陸で買うのが恒例だった)を眺めながら、SC鳥取の集合写真に鬼太郎(の着ぐるみ)も写っているのに気づく。 当時、FC東京でも既に鬼太郎デーをやっていたから、対戦すれば鬼太郎ダービーだな、などと思った。 まさか、数年後にFC東京とSC鳥取(→ガイナーレ鳥取)がリーグ戦で対戦することになるとは。。。
もともと、鳥取戦はTV観戦のつもりだった。 土日とも昼間に用事を入れていた。 けど、水戸戦で昇格が確定せず。 やはり、その瞬間を見届けたい。 なんとか旅程を組んで現地へ。 ほぼタッチ・アンド・ゴー。 蟹は食べられず、現地の観光振興にもあまり貢献できなかったけど、行って本当に良かった。
試合は東京ペースで進む。 ただ、ブロックの外をしっかり繋ぐ反面、相手選手の間への楔パスが入らず、得点の香りはあまりしない。 まぁ、無理せずじっくり攻めていけば自然にチャンスを作れるし、この時間帯はリスクマネジメントを優先していたのだろうけれども、消化不良に感じるのは贅沢な悩みか。 そんな状況でもモリゲのFKで先制。 本当に素晴らしい飛び道具。
後半は羽生の繋ぎからルーカスがステップから一瞬の隙を突いて、相手DFの垣根の間を抜けるグラウンダーのシュートが決まる。 さらに、セザーがドリブルで相手を押し下げて作ったスペースに走り込んだ谷澤が(ふかさずに)決めて3-0。 さらに達也が巧みなコースを走ってスルーパスを引き出し、さらに巧みなドリブルからシュート角度を作って4-0。 達也はやはりFWだ。
パスミスから粘られて1点返されるが、最後は達也のシュート(この時点で割ってなかった?)がクリアされたボールを上里が決めて5-1。
文句なしの昇格決定。 翌日、2位鳥栖が北九州に敗れて優勝も決定。 FC東京として初のリーグタイトル。
思い返すと、嬉しいとか、ホッとしたとか、とてもひとことでは言い表せられない。 長かったし、辛かった。 他方、遠征・グルメ・観光など、かなり楽しんだのも確か。 楽しまないとやってられないという面もあったけど、切り替えるのも能力の一つで、そういう点で手前味噌だけど自分の周りの東京サポは皆すごいなと思う。
他方、サポの立場を離れ、チームとして考えた場合、落ちて失ったものは大きいと思う。 スポンサー、年間チケット購入者(個人、法人)、マスコミの露出、プライド、赤嶺、大黒、ヨングン(ヨングォン)、東、永井・・・。 今野、森重などが残ったのは本当に幸運だった。
一般論として、J2に落ちていいことなんてひとつもないと思う。 もっとも、現実には上にいればそれだけで無条件に良いという訳でもないだろう。 残留争いに巻き込まれ、理想よりも目の前の勝点という現実に対応しなければならなかったり、メンタル的に追い込まれたり、積み上げどころではなくなることもあるだろう。 去年のウチがまさにそうだった。 今の山形なども、ピッチ内外がゴチャゴチャしてしまっている。 同様に、J2でも、昇格争いに付いていくのに必死で、理想どころではなくなる場合があるだろう。 結局脱落してしまった千葉のように。 結局、どのリーグにいても、チームを良い状態に置いてきっちり試合を重ねていくことが大事なのだろう。
その点、東京は序盤こそ苦労したけど、軌道修正した後は概ね順調に昇格への道を歩んだ。
その間、戦術的な上積みは限定的だったと思う。 ピッチ上から見えるものから判断する限りでは、ポゼッションでリスク管理しつつ、揺さぶりや個人技からゴールを奪い、代表級のDFで試合を終わらせるという、城福サッカーの延長線上のもので、正直、広島やセレッソ、柏のような、際立った特長や武器は見えない。
それでも、東京は意義のある一年を過ごしたと思う。 それは、各種記事やレポートでも明らかになっている「自立」とか「本質」と言う面で大きく成長したと思うから。
「自立」は、承知のとおり阿久根社長が言ってたことで、自分の頭で考えて、味方ともコミュニケーションをとって、修正して、順応して、チームとして戦う態勢を作っていくこと。 「本質」は、大熊監督の言っていたことで、球際の厳しさとか、1対1で負けないとか、あきらめないとか、気持ちとか、冷静さとか。
後半追加点を奪えなかったホーム岡山戦とか、ロスタイムにやられたホーム大分戦とかもあったけど、全般的には、シーズン中盤以降、試合中に雑になったり、焦って自滅することが減ったと思う。 丁寧に攻めて終了間際に勝ったアウェイ横浜FC戦や天皇杯・神戸戦などは最たる例。 鳥取戦でも、1点返された後にしっかり追加点を奪った。
選手たちは、異口同音によく話をするようになったと言っている。 それが相互信頼や試合運びの改善に表れているのだとすれば、そして、J2に落ちたことが、コミュニケーションの改善のきっかけだったのであれば、J2に落ちたことにもいくばくかの価値はあったのかな、と思う。
東京は、2004年のナビスコ優勝、2005年シーズン前に朝日新聞に掲載された「Hop Step Champ!」広告あたりで右肩上がりが終焉。
博実のリアクション・ショートカウンターサッカーは迫力と切れ味があって華やかで、楽しかったけど、相手を崩す工夫があまりなく、引いた相手やプレッシャーをかわしてくる相手には弱かった。
そこで、2006年、「磐田のような」サッカーがしたくてガーロを招聘したものの、前年まで「ボールを持てばサイド」状態だった選手達の適性との相性は当然良くなかった。 2007年ヒロミの再登板でも展望は開かなかった。
そして、東京の切り札(村林前社長談)だった城福さん。 年代別代表での成果を引っさげ、新たにムービングフットボールと言う名のパスサッカーを導入。 多色ビブス練習や各局面で常によりベターな判断を求める指導で、選手たちを解きほぐし、魅力的なサッカーを実現した。 けど、リーグタイトルを意識して臨んだ3年目は相次ぐ怪我人等で急失速、後任の大熊さんも立て直せず、まさかの降格。 また、選手たちは監督に依存し、その姿勢は降格するまで変わらなかった。
通して見ると、結局、足りないものが明らかになり、埋めていく繰り返しの歴史だったのかなと思う。 今年も、一義的にはJ1昇格とJ2優勝を果たした。 加えて、足りない部分の改善に務めた一年だと考えれば、長期的な流れの中で見ても、意義のある一年だった。 大熊さんは良い仕事をしたと思う。
もっとも、今年の本当の評価は、最終的には来年以降どれだけ良い成績をおさめるか、もっと言えば、苦しい時期でも選手たちのコミュニケーションや冷静さでどれだけ打開していけるかによって決まってくるんだと思う。
まぁ、いずれにせよ個人的には楽しいJ2の一年だった。 そしてJ1に上がったらもっと嬉しい!
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