少し前の話になるけど、11月8日(水)付日経夕刊に載っていた「ブログは自己確認の場」と題する、ある劇作家・演出家のインタビュー。 ごく短く、他愛ない内容だったけど、ネットやWEB2.0(?)を提唱する側ではない一般ユーザーが見た視点が新鮮だったので、ちょっと触れます。
ブログを始める人が増えている背景には、自分を他人に見せることで自らを確認したい、大げさに言えば生きている証しをつかみたいということではないか。 誰かが読むから書くのであり、ネットがなかったころに皆が日記をつけていたとは思えない。 やはり他人の目、他者を求めているのだと思う。
自分の場合、ブログを始めたきっかけは完全に自己満足だった。 試合、旅、グルメ、出会いと別れ、チケット争奪戦など、「FC東京とともに過ごす濃厚かつ甘美な日々」を何らかの形で記録に残したかった。
チケットなどをアルバムにまとめてもいいけど、すぐやらないとあっという間に貯まっていくし、汚れたり、失くしたりもする。 何より、記憶やその時の感情には賞味期限がある。 いつまでも鮮度を保つことはできない。
だったらデジタル化するのがいい。 写真や思いや怒りや喜びもまとめてアップできるのがブログ。 他人に見てもらうことはおまけでしかなかった。 最初のうちは。。。
いざブログを始めてしばらくすると、ほかの人のブログが気になってくる。 自分が見落としていたこと、気づいていたのにうまく文章化できなかったことが書かれている。 同じように拾ったネタなのに、上手に料理している。
すると、ちょっとやる気を刺激される。 もはや「自己完結」などではなくなり、他人の目やアクセス増を少なからず意識するようになっていく。
ブログは今、模索期に入っていると思う。 個性を発揮しているつもりでも、こういう風に原稿を書いて題をつけ、最後はお茶目に締めくくる、というように、平均化されつつあるような気がする。
これには心当たりがある。 ブログを始めて一年もすると、記事がパターン化していく。 良かった選手やプレーを取り上げて、次に悪かった点や相手の印象を書いて、今後の展望を述べて、最後にトリビアや毒や自虐ネタで落としてみたり、みたいな。
あと、ブログを始めてから2chに書き込まなくなった。 理由は、ブログがネタ切れを起こすことと、もう一つはやはりトラブルや身元バレ防止のため。
書くことは自分を記録すること。記録しないと、漠然とした記憶やイメージだけで過ごしてしまう。文字で自分を対象化すると、新しい何かが見えてくる。現代人は情報を取り入れるばかりで考えることをしなくなったといわれる。だが、ブログという手間をかけて書く行為が深く考える習慣につながれば素敵だなと思う。
日経の記事は綺麗にまとめているけど、自分の場合、ブログを書くようになって前より考えるようになったという実感は、正直ない。 確かに書くときにいろいろ考えてはいるけど、「てにをは」や「語感」を気にしているだけのような気がする。
ただ、確実に言えることは、ブログを始めることで行動半径が広がったってこと。 石垣島キャンプやJFL開幕戦(富山)や、Vファーレンの試合(長崎)を見にいったときに、ブログに書くネタ拾いという意識がなかったと言えば嘘になる。
だから、ブログは「自己確認」だけではなく、旅やブログを通じて知り合った人との交流など、ささやかだけど生活そのものにも影響を与えている、というのが自分の状況。
ということで、今週、ブログに書くこともちょっと意識しつつ、旅に行ってきます。
最近のコメント